showcase 021 1/2
『ゆらゆら』
建物から外に出ると、そこはもう雪でも降り出しそうな寒さだった。
イルミネーションに彩られているとはいえ、路地裏はいつもと変わらず暗がりが多い。私がちぢこまりながら歩いていると、ふいに背中にぬくもりが覆い被さってきた。
「うぁー寒ぃ」
隣を歩いていた彼の、寒い寒いと呟くコートの中に抱き込まれて、足音が重なる。
どうしてだか彼と一緒の時には無口になりがちな私は、いつものように黙ったまま。ブーツの踵で彼を蹴飛ばさないように気をつけていると、知らずに息までつまってしまう。
おんぶおばけは無言の私を「いつものこと」と理解したのか、助手席のドアを開けて私が車に乗り込むまで、ずっと背中にくっついていた。
――いつものこと、だろうか。
いつも同じ沈黙なんて、そんなものはないのに。
「ちょっと待ってな」
バタンと閉まったドアの音で、意識が思考の淵から呼び戻された。
彼がキーを回すその仕草が好きで、その指が好きで、いつも見つめていたはずなのに。
気がつけばラジオが囁き始め、僅かな振動に体が震える。
私の震えを寒さの所為だと受け止めた彼が、ヒーターのスイッチを入れた。
休日の夕方のこの時間、人気のFMラジオは有名な歌手をDJに抱えている。柔らかくハスキーな声が応じるのは――恋人と別れられない彼女のための、恋愛相談。
…どうしてまた、こんな時に。
私はまた、ひとりで思考の海に沈む。
あれほど心地がいいと感じていたふたりの間の沈黙を、やるせなく感じるようになったのはいつからだろうか。
通い合うはずのものが一方通行になり、やがて私が受動するだけの立場に甘んじるようになったのは。
彼にはとても大事にされていると思う。私だって彼をとても大切だと思っている。――けれど、見返るだけのものを返せていないと感じるのは、どうしてだろう。
私の想いが足りないのか、それとも彼が過分なのか。
エンジンが暖まるまでの僅かな時間でさえ、今の私には重くのしかかってくるような気がしてならない。それなのに、DJの諭す声がさらに拍車をかけてくる。
私はシートベルトも締めないままで、凍えた手のひらを包み込んで息を吹きかけてくるその熱が端から冷めてゆくのをただ感じていた。
温められているという現実よりも、ただそれだけを。
大好きとさよならの間には、吸った息を吐き出す、それくらいの温度差しかない。
風に木の葉が翻るように、向き合う覚悟よりも流される弱さの私だから、なおさら。
いつの間にかBGMに甘い恋の歌が流れ出して、彼のハミングが小さく後を追う。
私は、曲の中のおしゃれなお姉さんに憧れて、ウィンクの練習をしたことをふと思い出した。
鏡の前で大人ぶって、つむじ風を追い越してくる人を夢に見て。
…でも、大人になってもわからないことは沢山あるよ。
この恋は“人も羨む幸せ”と言ってもいいはずなのに、どうして私は自分で自分を追い込んだりしているんだろう。どうして素直に受け止められないんだろう。
大好きなのに。
大好きだから、さよならをしたいだなんて。
惑って、また決定的な一言を言い出せず、私は夜を越えていくのだろうか?
そうやって越えた先で、そのうちに何かがわかるようになるのだろうか?
俯いて途方に暮れる私の耳に、ハミングを止めた彼の声が「ごめんな」と囁いた。
「ごめんな。8時には間に合わないけど」
それは、つむじ風を追い越してくるよというクリスマスの約束。疑うところなどこれっぽっちも見つからない、優しい優しい彼の約束。
ごめんと謝りたいのは――真っすぐにあなたに向き合えない、私の方なのに。
黙ったまま見つめ返す私の泣き笑いに歪んだ顔を、大きな手が労るように撫でてくる。
彼は、この雫の意味を知っているのだろうか。
嬉しくもなり、悲しくもなる――素直に笑顔へ這い上がれずに、ゆらゆらとこの涙が生まれるわけを。
宥める手なら、文句の言いようもあるのに。
労わる手が、こぼれ落ちる前にその肩に吸い込まれていく雫が、その気遣いが私に痛みをもたらすことなど、あなたは雫の重さ程さえ知りもしないのだろう。
あなたはただ優しいから。優しいままのあなたでいて欲しいから、だから私も、気づかせはしないのだけれど。
けれど、あなたのその優しさで囲われた籠はどうしてだか息苦しくて。どうしてだか重苦しくて。
だからまたこうやって何も言いだせずに、私は自重で潰れてゆくのだ。
ゆらゆらと定まらない曖昧な愛情よりも、いっそはっきり告げたならこの足はもっと身軽に歩けるようになるのか――続ける痛みよりも失う痛みの方が大きいのか――本当に告げたいのは「さよなら」なのか「大好き」なのか――それさえ、わからずに。
≫ next
≪ showcase
≪ menu
≪ home