showcase 022 1/2




『star』


 慣れた道を通って住宅街に紛れこませた車を、いつもの位置に止める。
 ブレーキを踏んだ足がひどく重いと感じたのは、気のせいだろうか。
 エンジンを止め、鞄から取り出した小さな包みをコートのポケットにしまっても、俺はなかなかそこから動けずにいた。
 ライトを消した薄闇の中、あの夜と同じ場所で思い返すのは、消え入りそうな彼女の声と、俺の台詞。


「わかった」
 …本当はわからないよ。
「少し距離を置こうか」
 …距離ってどのくらい?

 帰り道が終点にたどり着いても濡れたままの瞳に、俺はそれ以上の言葉を探せなかった。
 そう言った先から、隣に立つ彼女の手を掴まえたくて仕方がなかった。
 ――好きなら傍にいて当たり前じゃないのか。
 喉元まで出掛かった言葉を無理やり飲み込んで笑顔を作り、精一杯の虚勢でもって、俺は物分りの良い大人な男を演じる。
 …寂しい顔に目を合わせない彼女は、彼女なりに何かを感じ取ってくれたのだろうか。

 好きなのに。
 大切なのに、どうして上手くいかないのだろう。
 いつにも増して寄り添いたくなる季節なのに、繋いだ手を引き合う力のバランスが取れない。
 ハミングした曲とリンクさせた約束はどうなるのだろう。
 疑問ばかりが渦巻いて、それなのに何も言い出せない俺に、小さな背中はいつもの無口なままで「またね」を言うこともなくドアの向こうに消えた。
 そこだけいつも変わらない街灯の灯りが、俺を照らす。
 いつも彼女が“解ってくれる”ことを期待して――受け止めるだけの態勢を整えない俺の、ひどく子どもじみた部分だけが浮き彫りにされた気がした。

 泣いてしまいたいはずなのに、あのこぼれない雫を思うと、視界を歪めることさえできない。


 年末の多忙な時期、忙しい体に連動するように回る思考は、仕事や家族や友人や、身の回りの雑多なことに目まぐるしく追われていく。
 そうやって越える夜の中、ふとした瞬間に思い出すのは、いつだって彼女のことだった。
 ただ優しいものではなく、口にはできない不安を伴う恋の行方が気にならないはずはない。
 いつでも彼女のことを考えていられるわけじゃない。だからと言って、彼女を忘れているわけでもない。
 忘れられるわけでも、勿論ない。
 会いたい。傍にいたい。言葉を交わして、触れ合いたい。
 寂しさは拭えない。想うことで悲しくなるとしても、大切に想う気持ちは本物だと、誓って言える。
 …けれど、逆に思うこともある。
 彼女への恋心は、胸にそっと忍ばせる程度がよかったのか、と。
 傍にいるのに、傍にいて欲しいと思われているのを解っているのに……想う心に身を任せることなく、ただ見守るだけにとどめておけば、と。
 そうすれば、失うのが怖くて俺が何度も口にする「好きだよ」という気持ちの重さに潰れることなく……ゆらゆらと揺れる瞳が無口な涙を生むこともなく、彼女は変わらず笑っていられたんじゃないか、と。
「……」
 ひとりきりの夜に灯りを消した部屋はひどく物悲しくて、知らずに大きな溜息がこぼれていた。
 虚しい。そんな消極的な恋を選ぶだなんて、できるはずもない。
 ――はじめに欲しがったのは、俺の方だ。


 曇る窓をそのままに体を傾けてハンドルに凭れていると、向かい側からやってきた車のライトが眩しく目を焼いた。
 少し手前で停まったそれはエンジンを切る暇もなく、着飾った笑顔の女性を乗せて俺の隣をすり抜けて行く。
 バックミラーに、点滅するウィンカーのオレンジの光が滲んで――俺はいつだか洒落て真似てみた、帰り際のテールランプの点滅を思い出した。
 バックミラーで忍び見た泣き出す手前の笑顔を、幸せと信じて疑わなかったのに。好きだと思う気持ちは、いつから孤独と寄り添うようになったのだろう。
 傍にいない彼女を想えば想うほど、自分の弱さを思い知らされる気がする。
 未来は予想していたほど上手くいかないなんて。……傍にいるのに凍えていく気がするのは、どうして。

 見上げた向こう、去年は一緒に飾り付けをした窓辺に、今年は灯りがない。
 部屋に居るだろうか。もう寝てしまったのだろうか。
 あの約束からは、ただの1度も逢えていない。メールも電話も、ただの1度も。
 窺い知れない窓の向こうに、携帯を鳴らすのはなぜだか躊躇われて、そんな自分の情けなさを哂おうとした口元は苦く歪んだ。
 …怖がるな。他でもない、彼女のことを。




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