showcase 022 2/2
8時はとうに過ぎた今、近所迷惑なのを承知の上で、俺は小さくクラクションを鳴らした。
昼から続いた雪は路面を覆いつくしたところで降り止んで、ぼんやりとした街灯の灯りをも灰色に沈めている。近くの家からもれ聞こえるパーティーの笑い声も、彼女の部屋に届ける前に吸い込んで。
鳴らしたクラクションで――彼女の姿を乞う、この気持ちも。
気づいて、出てきてくれるだろうか。
浮かない心を叱咤するように雪を踏んで外に出ると、外気は昼間よりもずっと冷え込んで、車体にもたれた体から容赦なく体温を奪ってゆく。
露になっている指先と頬が、痛いほど冷えた。
寄る辺のない気持ちは、どうしてこうも不安定で、体まで支配してしまうのだろう。
――はやく出てきてくれないか。
はやく出てきて、凍えようとする俺を、「心配ないよ」とはやく温めて。
「さよなら」以外の言葉なら、たとえ罵詈雑言でもいいから、君の声を、はやく。
「会いたい…」
君へとこぼれる声を、はやく拾い上げて。
祈りながら見つめる先で、前触れなく――そして勢いよく、玄関のドアが開いた。
「遅いよ!」
予想しなかった第1声が鼓膜を叩く。ドアを開けて、転ぶように駆け出してきた小さな影の肩からマフラーが路上に落ちるのが、まるでスローモーションのようだと思った。
「待ちくたびれたよ、サンタクロース」
いつになく強気な声が駆け寄ってくる。
落としたマフラーを気にもせずただまっすぐに向かってくる彼女に面食らった俺は、「ごめん」としか言えなかった。
「今日が終わっちゃったらどうしようかと思った」
「…ごめんな」
久々に見る彼女に心配していたようなあの夜の気配はなくて、なんだか騙されたような気になる俺は、いまいちそれについてゆけない。
俺は気の抜けた声で瞬きを繰り返して、視界から彼女が消えてなくならないことに安堵した。
随分と弱気になったものだと、情けなく思いながら。
そんな俺を見上げる彼女は、小さく「うん」と答えた。それだけのことなのに、街灯から届く僅かな灯りがそこだけ和らぐようだ。
「これ、あげる」
無口じゃない彼女のコートのポケットから出てきたのは、金色の星のオーナメント。
見覚えのあるそれは、去年奮発して買った大きなツリーのてっぺんの、大事な飾りだった。
「私じゃ届かないんだからね…」
手渡された星を握る俺の手を彼女の小さな手が包み込んで、白い吐息が確かな熱を分け与えてくる。いつかの俺と同じその行動に時間と距離が一気に引き戻されて、ただ愛しさだけがこみ上げた。
じんじんと解れるこわばりに連動して、欲しがる体が伸ばそうとした腕を、けれど彼女はそっと制する。
今までは何も言わずに受け入れていたものを、まるでそれが当たり前であるかのように。
「…なんで」
低く呟いた先は、積もった雪に吸い込まれて消えた。
拒まれる理由を悪い方向へとしか考えられないのは、どうにも払拭できない怯える気持ちがあるからだ。
離れてゆく心が時に理由を必要としないことを、同じく時間を必要としないことを、知っているから。大人になるということは物を知って強くなるということでもあり、同時に知りすぎて弱くなるということでもある。
二の句が続かない俺の手を下ろさせると、彼女は、ゆっくりと――俺の首に腕を絡ませた。
「大好きよ」
耳元に聞くのは、彼女からの……おそらく初めての、確かな愛の言葉。
ああ、俺は今、欲し続けたものを手に入れた。
抱きしめられた体はゆっくりと解けて、溢れる熱が自然と両目から流れ出た。
脈打つ鼓動が、愛しい、愛しい、愛しいと体中を廻りはじめて、俺は衝動のままに彼女を強く抱きしめる。
勝手に思い込んで、勝手にふさぎ込んで……そうやって塞き止めていたものが流れて、回り道をしていた気持ちがやっと、ひとつになるんだろう。
熱い頬を撫でてくれる彼女の手が優しくて、見上げてくる瞳が、頬が俺と同じように濡れているのがきっと、その証だ。
視界はゆらゆら歪んでも、揺るぎない想いが、そこにはある。
「今更でごめんね」
待たせてごめんね。不安にさせてごめんね。
擦り寄ってきて「ごめんね」を繰り返す頬は、とてもとても温かかった。
「いいよ、嬉しいから」
俺の方こそ、ごめんな。
俺たちは互いの頬を拭いあって、それから寒さのせいではなく赤くなった鼻を寄せて、「ごめんはもういいか」と少し笑った。
「はやく星飾らなきゃな」
「…でも、もうちょっとだけこのままでいてもいい?」
「…ん」
腕の中に互いを抱いて、重なる心音と呼吸の音を聞く。「大好き」ともう1度囁いてくれた彼女の声は、耳よりも直接胸に響いて鼓動に乗り、体中に流れて沁みた。
――これほど温かなものを、俺は他に知らない。
喜びは、いつでも君の傍にある。
聖夜には奇跡が降るという。
あまり信心深くない俺だけど、今夜ばかりは感謝を捧げたい気持ちでいっぱいになった。
――俺の人生に、彼女という奇跡をどうもありがとう。
手の中に降りてきて寄り添う星のぬくもりを、俺はもう二度と放さない。
-fin-
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