showcase 024 3/5




 いつもは連れがいたはずだとぼんやりと憶えていたが、ひとりで酒を呑む女にわざわざ問うのは野暮というものかと、俺は数席離れたカウンター席に陣取った。
 …横顔の綺麗な女だ。
 伏せた睫毛が瞬きの度に音を立てそうな、結んだ唇が言葉を紡ぐまで黙って見ていたいような、そんな。
 俺が暫くそうやって見ていると、彼女の方から「なに?」と訊いてきた。
「いや、」
「…あなたもひとりなの?」
「ああ」
 ふぅん、と彼女はつまらなさそうにグラスの汗を指でなぞる。
「たまに来てるよね、此処に」
「そっちは常連?」
「そう」
 続くような、続かないような。
 そんな会話に妙なもどかしさを感じて、俺は出されたばかりのグラスを持って彼女の隣に移動した。
「暫く話し相手になってよ」
「…いいよ、どうせ暇だし」
 どうせお客はふたりだけみたいだし、と続けた彼女は、ふっと息を吐くような、肩の力を抜くような、そんな微笑を俺に返した。

 それなりににこやかな、けれど互いを詮索しない上辺だけの会話は、俺が3杯目のグラスを空にしたところで閉店時間に遮られた。
 結局最後まで客が増えることがなかった店から外に出ると、雨はまださらさらと夜を演出している。
「まだ降ってたのか」
 表の通りまで出なければタクシーは拾えないが、この雨では大通りに着く前にかなり濡れそぼってしまうだろう。
 店に取って返して電話でタクシーを呼んでもらおうかと思っていると、後から出てきた彼女が俺の隣に並んだ。
「うち、すぐそこだから。…傘貸してあげるよ」
 雨の中に踏み出して、彼女が言った。
 空に差し出したてのひらの上で、店の看板の灯りに照らされた雨が撥ねる。
 柔らかに色づいた粒は、その小さな手の中でいくつものクラウンのように輝いた。
「…彼氏、いるだろ」
「別れたの。この間」
 雨の中に俯く彼女は、真っ白というよりも薄く色づいた花弁の水仙を思わせた。
 降り注ぐ雨は、その悲しみをさらさらと洗い流し、慈しむような街灯の灯りに煙った。

 ――綺麗だと、思った。

 心を攫われたという自覚より強く、彼女を欲しいと望む自分がそこにいた。
 互いの事情さえまっさらに洗い流すような雨の、さらさらと続く音が、非現実のような空間に俺と彼女を連れ去る。
「…傘、貸して」
 1度だけ振り向いた彼女が、「こっち」と俺を誘導する。
 そうやって足早に付いて行った先は、綺麗に片付いた部屋だった。
 濡れた俺にタオルを渡し、彼女はコーヒーメーカーを作動させる。
 微かに感じる煙草の匂いは、コーヒーの芳しさに誤魔化される、別れた男の名残だろう。
「冷えたでしょ」
 俺は「はい」と差し出されたカップではなく、彼女の手を掴んで引き寄せた。
 細い体は難なく腕の中に収まって、俺よりもずっと冷えた体温で僅かに身じろぐ。
 酒が入っていたせいもあるだろう。
 三流ドラマのようなベタな展開の中に、俺たちは身を投げた。

 初めの夜の出来事は、酒の所為にしても、雨の所為にしても、夜の所為にしても。
 そこには、何の所為にもできない“それなりの気持ち”というものがあったはずだ。
 自棄ではないるぅの仕草に、俺は確かに惹かれた。自棄ではないるぅの肌に、俺は確かに惹かれた。
 だから仕掛けてみた。
 別の男が残して行った記憶を塗りかえるように、そこに上書きするように、わざと自分の煙草の香りを残し。るぅの肌に、わざと自分の痕を残し。
 俺がいない間にも俺を恋しく思うように、寂しくなるような曲をわざとオーディオの中に残し。
 …けれど、肝心なことは何も言わずに。

 そうやって手に入れた心は、ほんわりと温かな涙で俺の名を呼んだ。
 ほんわりと温かな腕で、俺の背を抱いた。




 すっかり俺の匂いが染み付いた部屋には、はじめの頃のような違和感は微塵もない。
 俺は部屋の中をとうに把握していて、電気を点けて住人の眠りを妨げてしまうこともなく、暗い中をひたひたと歩いて寝室へと向かった。
 静かな部屋の中をほのかに甘く感じるのは、ずいぶん好きになってしまった部屋の主自身の香りのせいだろう。
 ドアを開けた先で、眠り姫は、ぬくぬくと毛布に包まって俺を待っていた。
「…るぅ」
 大きく軋まないように注意しながら、俺はそのベッドに腰掛ける。




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