showcase 024 4/5




 あの夜、冷めてしまったグァテマララスデリシャスは、シンクで茶色い川になった。
 あれ以来、この部屋のコーヒーメーカーが使われているところを見たことがない。
 代わりのようにるぅは俺に缶コーヒーを寄越し、俺もまた同じ自動販売機で缶コーヒーを買い続けている。
 手間をかけずとも手軽に手に入るそれは、破綻の気配を恐れながらも再生を続けるドラマのような関係に、似合いの小道具だったろう。

 でも――欲しいのは、体だけじゃないんだ。

 こちらを向いてくの字に丸まったるぅの、寝乱れた髪を撫ぜる。
 さらさらと冷たい感触は、指を少し内に潜らせるとほんわりとした体温に変わる。
 人の体温というものはどうしてこうも優しいのだろう。
 頬にかかる髪を耳に掛け、額に落ちる髪をかきあげてみる。
「…でこっぱち」
 無防備な寝息はどうしてこうも愛しく思わせるのだろう。
 少しの悔しさとそれを覆い尽くすほどの衝動に、俺は逆らわない。
 苛めた分、優しくしてやりたいと思う。泣かせた分、守ってやりたいと思う。
「束縛してやろうか」と贈った指輪は、むしろ俺をるぅに繋ぐ証のようなものだ。その石は、るぅの涙が凝ったような、ほんわりと温かな色をしている。
 呼吸に沿わせて押し当てた唇を1度離し、もう1度。今度は啄ばんでみた。
 眠り姫はキスで起こすものだと相場が決まっているだろう。だからお前も、起きて俺を見ろ。
 起きて俺を構えよ、るぅ。
 額を重ね、震える睫毛を覗きこむと、るぅの髪に湿気た俺の髪が混ざって流れた。

「るぅ」

 柔らかな頬を撫でると、るぅが目を開ける。
「……?」
 寝起きのるぅは、ほわほわと定まらない視線で俺を眺めた。多分、るぅには暗くて上手く見えていないだろうけど、何度も瞬いて俺を確かめている。
 冷たいよ、と言ったるぅの手が、毛布の端で俺の髪を拭った。あの夜も、るぅはまったく同じように俺の髪を拭った。
 俺はその手を掴まえる。
 マニキュアが綺麗に塗られたその爪は、化粧という鎧を隙なく纏って、自分を守っているように見える。そんなるぅの指は、いつも、噛み付きたくなる衝動を俺にもたらす。
 噛みついて、その鎧を奥歯で噛み砕いて、裸にしてしまいたくなる。逃げ隠れる場所さえ奪いたくなる。
 俺は――るぅの弱いところも全部、知りたいから。

「…なにしてたの?」
「……欲情?」

 俺の台詞にるぅは一瞬ぽかんとして、それから細い眉をひそめた。
「そういうことばっかり言うんだから」
「……」
 るぅは最近、不満を表に出すようになった。不満だけじゃなく、他の感情もちゃんと俺にぶつけてくる。
 自分を受け止めて欲しいと、ちゃんと態度で示してくる。
 何をしてもすり抜けていくようだった以前に比べたら、大した進歩だ。
 俺はそれが嬉しくて、だからるぅが顔をしかめるような事をわざとしてみたりする。子どもじみてるのはわかるが、嬉しいんだから仕方がない。
 ――でも、さっきのも嘘じゃねぇし。
 片手をついて重心を移動させると、ベッドがギシリと抗議の声を上げた。
「るぅ」
 低く囁いて、そのままるぅの耳朶にくちづける。
 るぅは全身でひくりと震えた。

「…卑怯者…っ」

 るぅは耳元で呼ばれるのに極端に弱く、すぐに耳を押さえて縮こまろうとする。ベッドの上だから何処へも行きようがないのだが、それでも身じろいで俺から逃れようと試みる。
 防衛本能だか何だか知らないが、そういう姿を見せられて反応しない男がいるわけがない。
「お前、今、顔赤くなってるだろ」
 そういうの、そそるな。
 俺が笑いながら言うと、るぅは寝転んだままで「変なこと言うな馬鹿」と俺の頬を抓んで引いた。それから小さな声で、「どうせなら“好きだ”とか言えばいいのに…」と言った。
 唇をとがらせた素直なるぅのちっぽけな反抗が、俺はとても好きだと思った。

「お前が言ったら、言ってやるよ」




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