showcase 026 1/1




『遠く離れて』


 誕生日を祝うカードに気づいたのは、深夜を回った集合ポストの前だった。
 ダイレクトメールに混ざった桃色のそれを開くと、薄暗いスペースにお決まりの電子音が流れ出す。
『Happy Birthday』
 丸みのある文字には見覚えがあった。

 あの日、僕らは笑顔で手を振った。

 カードには名前のみが記されて、掠れた消印だけがその軌跡を辿る手がかりのように押されている。
 いい関係のままで別れた彼女からのグリーティングカードは、この場に相応しくないほどの甲高いメロディーラインで歌う。
 銀色の蓋が並んだ壁は、鈍く反射して僕を照らした。
 …どうしてだろう。
 遠く離れて、もう此処にはないぬくもりの――その気配が今、僕の隣にある気がするのは。
 カードに描かれたこの花束のように、華やかで柔らかな色彩が、あの頃のように。
 まるで僕の隣に。

 ――もう、忘れてくれてもいいのに。

 もしも君が近くにいたなら、僕は感謝の気持ちを返すだけで済んだ。
 日中に沢山貰ったものと特に変わりのないカードに、こんなにまで心を動かされるはずがない。

 遠く離れてなお変わらない細やかな気遣いが、短い言葉を滲んで読ませる。
 カードにもう1度歌わせる間僕はそれを眺めて、何度も何度も瞬きをした。
 想いが零れてしまわないように、何度も何度も瞬きをした。
 それから元のように桃色の封筒にカードを仕舞い、タイルの床を奥へと進む。
 壁のボタンを押すと、待機していたエレベーターが扉を開いて僕を迎えた。
 1度だけ大きく深呼吸をして、僕はその箱の中に乗り込む。

 誕生日は新しく生まれ変わる日だと教えてくれた君は、もう傍にいない…。
 無機質で小さな空間は、どうしようもないほどの寂寞で僕を締めつける。
『元気でいるよ』
 どこか遠い街で君もまた、僕を思い出して心を揺らす夜があるのだろうか。
 僕を思い出して、何かが零れそうになる夜があるのだろうか。
 …いや。
 思い出してくれたから、僕は今ここに君の気配を感じるのだろう。
 君もまた、僕の気配を感じながら――僕を懐かしみながら、ペンを握ってくれたのだろう。
 荷物と一緒に胸に抱えたカードが歌った祝いの歌は、いつしか、君の声で僕の中に響きはじめた。

 Happy birthday to you, my dear.

 ドアが開いた先で、いつもと変わらない景色が僕を迎える。
 いつもと変わらない部屋の鍵を開ける僕は、けれどいつもと違う思いで靴を脱ぎ、テーブルの上に桃色の封筒を置いた。
 …少しだけ、部屋の雰囲気が柔らかくなった気がした。
「僕も、元気でいるよ」
 君に聞こえないのを承知の上で、それでも僕はそう呟いた。
 それは、きっと笑顔でいる君からの贈り物。きっと幸せでいる君からの贈り物。
 寂しさの傍らで、何度新しく生まれ変わっても、変わらず持ち続けるであろう想いが胸を震わせる。
 ――優しさをありがとう。

 君はもう遠く離れて、それでもなお僕をあたためる。


 -fin-




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