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『願い』


 どうってことない雨も、七夕の日に降るととたんに憂鬱さを増すのだから不思議なものだ。
 窓の外、夜を覆い尽くした雨粒が、ベランダの葉陰を揺らす。
 色が綺麗だという理由で水性ペンで書いた願いごとは、とうに短冊から流れて、その表面に僅かな滲みだけを残していた。

 当たり前だが、見上げても星は見えなかった。
「遠くに煙る街灯をそれに見立ててみたら」と、ソファーに寝転がったままの彼女が言う。
『雨が降りますように』
 短冊にそう書いたのは彼女で、願いは時間を置かずに叶っていた。
 外は雨。電気も点けず、薄いレースのカーテンを引いただけ。
 夕方からそのままの部屋が完全な闇に沈まないのは、そこかしこに灯る人工の星の所為だろう。
「高速道路が見えたらそれを天の川の代わりにするのに」と彼女は言って、
「でも雨が降ってるから誰も出かけないよね」と、呟きを足した。

 憂鬱なはずの雨を七夕の夜に願い、もつれるように重ねた体は、意外にも互いに無口だった。
 久しぶりに会う日は、言いたいことも聞きたいことも山のようにあるはずなのに、ただ掠れる呼吸だけを雨音に重ねた。
 腕だけ伸ばしてカーテンの裾を弄る、その柔らかな二の腕には痕が残っていて欲しいと、俺は仄かな闇の中で願う。

 七夕に会いたいと言った俺も、七夕に雨が降ればいいと願った彼女も、
 それが結局は口実でしかないことを知っていて、だからこそ口には出さないでいる。

 頭を撫でると彼女はくすぐったそうに身じろいで、広がった髪に、星を連ねた形のピアスが散った。
「織姫と彦星は会えたかな」
「私とあなたが会えてるから向こうもきっと会えてるわよ」
 そう言って、彼女はひそやかに笑う。
 久しぶりに会えた恋人に願うのは、『そばにいてほしい』、ただそれだけ。
 寝転んだままの彼女を引き起こして腕の中にしまうと、温もりがどうしようもなく胸をくすぐる。
 くちづけを願うその前に、彼女の唇が俺の頬に触れた。

 今夜、雨が止む気配はない。


 -fin-




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