showcase 034 1/4
『long for you』
華やかな装いが群れる場所というのは、昔から得意ではない。
だから私は、この店の雰囲気に未だに上手く溶け込めずにいる。
いつもよりも高めのヒールに、繊細なデザインのピアス。指輪はわざと外してきたのだが、それがよくなかったのかもしれない。
知った顔が何人か私に話しかけてくる、その視線が最後に指を撫でていくのは気のせいではないだろう。
私は口をつけただけのグラスをカウンターに置くことで、店の奥にあるソファーに背を向けた。
――楽しそうな彼の笑い声が、やけに遠くから聞こえる。
私を残して、週末の夜は随分はやく更けていく。
店の床はよく磨かれていて、靴音を高く響かせる。
適温に設定された空調のおかげで、肩を出した服でいても寒さを感じることはない。
巻き髪の綺麗な彼女は、今日もいい香りを纏って私の横を通り過ぎて行った。
――彼女が私に話しかけることはない。
奥のテーブルで、きっと彼女はいつものようにこう言うのだ、『元気そうね』。
それに彼はこう返すのだ、『そっちこそ』。
随分前のこととはいえ、別れた相手を前に、どうして笑顔でいられるのかが私にはわからない。
彼はこの店では笑顔を絶やすことがなく、反対に私はほとんど笑顔でいることがなかった。
彼の友人たちは皆いい人だと思う。そんな人たちに私を紹介してくれるのは嬉しいのだが、彼の友人は当然だが男性だけではない。
『男女間の友情は成り立つのか?』
それは男性の友人を持たない私にはイエスともノーとも言えない質問だった。
過去の恋人は友人になった例がない。それは別れ方にもよる、と世間は言うが。
私は過去の恋人に会おうとさえ思わない。
彼は今の恋人の前で、過去の恋人に笑顔を見せる。
男は思い出で生きていけるのだという。
女は、思い出だけでは生きていけない。
――こんなに食い違う私たちは、どうして恋人でいるのだろうか。
ひとりでいる私に話しかけてくるのは、彼の友人たちではなく、大抵、下世話な探りたがりばかりだ。
私は適当に作った顔でそれをあしらい、彼の傍に行かない理由をはぐらかす。
実際、ふたりが上手くいっていないわけではない。ただ私が、いつまで経ってもこの空間を好きになれないだけの話だ。
グラスには甘めのカクテルが入っているはずなのに、舌は敏感にアルコールの苦味を感じ取った。
奥の席からは、彼の笑い声が聞こえてくる。
シフォンを重ねたミルフィーユのような彼女のワンピースは、彼の笑い声と一緒に揺れているのだろうか。
ミルフィーユが好きな彼は、私を、それに例えたのに。
その日、待ち合わせたカフェに遅れて行った私を、彼は咥え煙草の笑顔で迎えた。
丁度マスターが珈琲のお代わりを注ぎにきたところだったのだけれど、私は椅子に座るなり彼に仕事の愚痴をぶつけたものだから、ふたりに苦笑される羽目になってしまった。
「アメリカンでいいよね?」
彼は私の代わりに珈琲を注文し、短くなった煙草を揉み消す。
店の奥、窓際の喫煙席は東寄りで、射しこむ夕陽の眩しさは随分と軽減されている。
テーブルにはカフェの名前が記された小さなマッチが置かれていて、彼の指先がそれを玩ぶのを、私はいつものように黙って見ている。
香りは記憶を呼び覚ますのに有効な手がかりだという。
煙草と珈琲の香りを同時に嗅ぐと、視覚で感じるよりも強く、彼の傍にいるという感覚が確かにわいてくるから不思議なものだ。
誰かの珈琲からシナモンの香りが甘く漂うのが、目に見えてきそうな店内。
「知り合いに教えてもらった店なんだ」と彼が連れてきてくれてからというもの、私も彼も、すっかりこのカフェの居心地のよさの虜になってしまっていた。
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