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『midnight rain』


 深夜料金のタクシーのメーターは、驚くほどの速さで緑の光を変化させた。
 黄色く点滅する信号の下を潜り抜け、運転代行と同業者しか走っていないような道を、無口な運転手は走り続ける。
 アルコールの入った体に、不思議と眠気は襲ってこない。
 普段座り慣れない後部座席というものは意外に居心地が悪く、日が落ちる前から降り続く雨が窓を叩くその音が、ボリュームを抑えたラジオの、DJの声を掻き消していた。
 街灯を映してきらめく道路、絶え間なく落ちる雫の先に、目的地はある。
 曇り止めのためにと強めに効かせたクーラーに、携帯電話を握り締めた手は熱を失いつつあった。

 ――泣きそうな声で電話をかけてくるなんて、反則だ。

 会いに行く予定なんてなかった。
 ひとりで気ままな夜を過ごそうと思っていた。
 だから何をするでもなく、冷蔵庫とテレビの間を往復するだけの幸せに浸っていたのに。

 タクシーは時折大きく揺れ、そのたびに足元に置いた傘が膝を濡らした。
 気の抜けた服は一応あらためてきたものの、この雨を前にして、さして意味を持たなくなっている。
 溜め息をつくと運転手が怪訝そうにするから、代わりに携帯電話を握り締める。
 電池残量は心許なく、指先もかじかんでいるから、小さく整列したボタンを押すことさえままならない。

 たぶん、なんでもないことだ。
 いつものようになんでもないことで、なんでもないくせに大げさに振舞うのが癖だって、嫌というほど知っているのに。
 着く頃にはきっと、けろりとした顔をしているはずなのに。
 涙を降らせる前の揺らぎを、電波の向こうに見た気がした。
 それだけのことなのに。

 後部座席にくだらないけど大切なことを乗せて、深夜料金のタクシーは、驚くほどの速さで雨の中を走り抜ける。


 -fin-




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