showcase 038 1/2
『take good care of my heart』
キッチンにはチョコレートの香りがやわらかく漂っている。
リビングのローテーブルに頬付えをついた彼の視線を気にしながら、私は刻んで溶かしたチョコレートを耐熱容器に移した。
――こうなることを見越していたわけじゃないけど、プレーンタイプのものを買っておいてよかった。
先月渡しそびれたそれは賞味期限が危ういところで、無駄になった包装を解きながら、私はいくらかドキドキしたのだ。
そんな私の気を知ってか知らずか、彼は「チョコフォンデュが家でもできるとはね」なんて言って皿の苺やらマシュマロやらをつついた後、フォークの先をかちりと噛んだ。
そもそもはあの雑貨屋が悪いのだ。
私が買ったのと同じ箱がセールの棚に置かれているのを見るのは、なんとも切なく惨めだった。
そりゃあ販売時期を逸したパッケージだから仕方ないとして。特需の時期を逸した商品でしかも食品だから、値引き対象になるのも仕方がないとして。
それにしても、ひどい。
そう思ってしまうのは、その箱がまだ私の手元にあるから、だった。
3月も半ばを目前にして。チョコを渡す時期を逸したばかりか今後の予定も未定だなんて。かなしくて泣けそうだ。
セールの棚の隣にこれ見よがしに『おうちで簡単!フォンデュセット』なんて置いてあるのもひどいと思った。そんな抱き合わせ販売なんてひどい。ひどすぎる。
…想いは、そんなに簡単に溶けたりなんてしないのに。
「これねー、買ったのはいいけどあんまり使わないんだよねー」
隣で能天気な声が聞こえたと思ったら、2階のカフェのマスターがいつの間にかそこに立っていた。
「チーズにも使えるって言われたら便利そうに聞こえるけど、大体こんなのひとりでやんないし」
そんなの寂しすぎると言ってマスターは振り向き、
「振られたらいっしょにヤケ食いしてあげ」
「煩いな!」
軽口に間髪入れずに返してしまうくらい、カフェの常連になった自分が少し恨めしい。
「…腹立つ」
私がそれだけ言ってプライスカードを睨んでいると、マスターは大仰に肩をすくめて2階に戻って行った。
彼女なりの慰め方はとにかく憎たらしくて、けれどどうにも憎めないところが…やっぱり、憎たらしい。うん。
「マシュマロなんて久しぶりに食べたよ」
ラグの上に直接座るのが好きなようで、私が向かいに座る頃には、彼はずいぶん寛いでいた。
「ホワイトデーだって言うのになんにもくれないし。この男」
「そこは、間に合わせて帰ってきただけいいと思って」
自分がプレゼントだなんて陳腐なセリフは古いドラマの中だけかと思ってたのに、どうやら彼には違うようだ。
私は聞いていない振りをして、フォークに刺したマシュマロに溶けたチョコレートを絡める。
マシュマロの中にチョコレートを詰めるのはそう難しくないことだけれど、マシュマロにチョコレートコーティングを施すのは難しい、とマスターは言った。
チョコレートの温度が高すぎるとマシュマロが溶けてどろどろになるし、かと言ってチョコレートの温度が低すぎるとマシュマロに巧く絡まない。
「美味しいんだけどウチみたいな小さな店舗での商品化は無理ね」と彼女は言い、それから「適温を保ち続けるのが難しいのはチョコレートだけの話じゃないし」と遠くに想いを馳せるような目をしながら、よく練ったココアをカップに注ぎ、クリームとマシュマロを添えてカウンターに置いた。
「ごめん、私熱いの飲めない」
「じゃあちょっと冷めたところで。でも冷え切らないうちにどうぞ」
それからもごもごとマシュマロを頬張る彼女に、私は「振られるわけないからヤケ食いにも付き合ってあげない」と返して、カップにブラウンシュガーを落とした。
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