showcase 039 3/4




『お前もさぁ、彼女ぐらい作ればいいのに』
 仕事の合間をぬって昼飯を食いながら、仲間は家族の話題で盛り上がっていた。周りが次々と身を固めていく中、いつまでもふらふらしている俺に話の矛先が向くのは、あいつらにとっては至極当然のことらしい。
 俺は『またその話?』なんて言いながら、もう何度目とも知れない曖昧な笑みで、その先をはぐらかす。
 お節介はしても必要以上の追求はしない。人間関係を長く保つコツはきっとそれくらいのルールを根底に敷いた信頼で、沈黙を是とする。その後に続くのは結局のところまた誰かの惚気話で、順繰りの末に矛先が戻ってくるのもいつものこと。
 俺は適当に相槌を打ちながら、さっきまで晴れていたはずの窓の外が雨に濡れてゆくのを見ていた。

 昼間、降り出した雨のはじめの1粒が、焼けたアスファルトに、じわり、染みるように。
 ぽたりと落ちた欲は、じわり、胸で焦げる。
 俺に囲う女がいると知ったら――あいつらは、どう思うだろう。
 汗に濡れる首筋の柔らかい皮膚を捕食するように歯を立てて、俺はまた、このどうしようもない熱を沈めるために、熱い息を吐いた。


 ガラスを打つ雨の音で目覚めた。少しの間、眠っていたらしい。
 頬に触れる指の感覚に目を開けると、薄闇の中で、彼女が俺を眺めている。
「…変な顔でもして寝てたか」
 訊くと彼女はわずかに首を横に振り、「睫毛長いな、って思っただけ」と呟く。指先はほどなく離れた。
 …また、雨だ。窓についた粒がカーテンに透け、部屋の壁に模様を浮かべている。部屋の温度は少し下がっただろうか。
 隣で器用に寝返りを打ち、床から拾い上げたクッションに縋る背中が小さい。肩甲骨の間の薄い肉のあたりにも、鬱血痕。
 衝動が過ぎ去れば、残るのは気だるいながらも妙にすっきりとした体と、誰がそんなにしたのかと問いたくなるほど痕のついた肌だった。それは紛れもなく俺の仕業であるのだが、――そんなに独占欲の強い人間だったのかと問われても、うまく答えは返せない。
 そう言えば、明日何を着ればいいのか、なんていう抗議は1度も受けたことがなかった。そもそも俺は部屋着にしている気の抜けたシャツか、コンビニの制服を着た彼女しか見たことがない。…派手な格好をすることがないなら、特に問題はないというのか。それとも単に無頓着なだけか。
 夜中だというのに、車やらバイクやらのエキゾーストがエントランスにこだまする古い賃貸マンション。人通りのほとんどない表通りに、街灯の少ない裏路地。通り抜けの客の売り上げしか望めないようなコンビニと、開店休業状態の安いコインパーキング。
 女がひとりで暮らすにしては条件の良くない土地だが、何を好き好んでか、彼女はここに居座る。そして俺も、放っておけずにちょくちょく顔を出している。
 女性にあるまじき深夜のアルバイトはもうやらないように、と口を酸っぱくしたのだけは聞いてくれているようで、そこだけは唯一安心できるのが幸いか。
 枕に散る髪を掬い上げて特に何をするでもなく指に絡めていると、それは前触れもなく、するりと逃げた。

「もう、寝るから。…帰っていいよ」

 …まただ。
 俺は上半身を起こして、彼女の首の後ろに手をついた。ぎしり、ベッドが鳴り、ほんの少しだけ彼女の頭がこちらに傾く。いつものことだが――その声に、寂しさは滲んでいない。ただ、閉じた瞼の睫毛の影を頬に落として、薄く息を吐く肩が僅かに揺れた。
 彼女はいつも、続きを望まない。黙っていればほどなく寝息が聞こえるだろう。
 視線を落とせば裸の肩がある。触れればひやりと冷たい肌だ。唇にはもっと冷たい。そこに恭しく口づけたくなるのはどうしてなのかと、いつも思う。
「すきだよ」
 気がつけばそんな睦言が口をつくのだから不思議だ。まるでそこに縋るのが俺のように聞こえる囁きに閉じた瞼が開き、けれど振り向かないままで彼女は呟く。
「なんで私がすきなの」
「…なんでだろうな」
 助手席に乗せたこともない女だ。化粧っ気もない、おとなしい、地味な。
 特に取り柄もない女だ。年相応の色香よりも、子どもっぽさの方が見える、駆け引きさえできない。
 どこがすきなの、と訊かれれば、いくらでも言葉は選べた。その場をしのぐような器用な甘さも、痞えながらの不器用な本音も。
 けれど彼女はいつも、なんで、と訊く。――そんなもの、俺が教えて欲しいくらいだ、馬鹿。




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