showcase 039 4/4




 狭い部屋の中では、どんなに端へ寄っても、耳を澄ませば寝息が聞こえる。シャツを被り直す時にふと見えた腹に若干肉がついた気がするのは、惰眠をむさぼるのが好きな彼女の所為だろう。残しておけばいいだけなのに、彼女が起きないとなると妙に意地になって食べてしまう、コンビニのプリン。
 空になった入れ物とビニール袋を片付けるのは、いつでも俺だった。自分の部屋は散らかし放題なのに、この部屋を汚してはいけないような気がするのだから不思議だった。だから代わりに、彼女の肌に痕を残そうとするのだろうか。
 部屋を出て、鍵を掛け直す。エレベーターは俺が来た時と変わらぬ状態で待機しており、扉を開くと蛍光灯が瞬いた。
 携帯のディスプレイで時間を確認する。…いつでも鳴らしていいと伝えてある電話は、いつだって鳴らない。
 俺のいない間に他の誰かと会うのかもしれない、それはありえなくはない話だ。すきだと言うのは俺だけで、別に束縛しているつもりもない。俺はただ、会いに来て、抱いて、帰るだけの男。
 だから、俺が帰った後、彼女がどんな気持ちでゴミ箱に残る俺の名残りを捨てるのかなんて、伺い知る余地もなく、期待をするはずもなかった。
 大した金額にもならないコインパーキングから車を出し、雨と信号で赤く煙る道を走らせる。対向車もいない表通りに、誰も見ていないのにはためく中古車屋の旗が滑稽だ。
 傘を持たずに来た俺の肩はひやりと雨に濡れ、鼻先にはもうあの部屋の気配がしない。

 彼女の涙の匂いは雨の匂いに似ているだろうか。
 帰れと言った口から零れる寝息の温度でさえ、懐に忍ばせて帰りたいだなんて。思うのは可笑しいだろうか。

 昼間、降り出した雨のはじめの1粒が、焼けたアスファルトに、じわり、染みるように。
 ぽたりと落ちた闇は、じわり、胸で焦げる。
 そんな繋ぎ方は卑怯だとわかっているけれど――ああ、いっそ、孕んでくれたら。

 誰が渡るでもない信号で止まる車の窓に、風が雨を打ちつける。自重に耐えられなくなった粒が、跡を残して滑り落ちる。信号は青へ変わり、黄色を経てまた赤へ変わり、それからまた青へ変わった。
 対向車も、隣へ並ぶ車もない。
 誰も通らないとわかっていながら、後方確認のつもりで振り向く。
「……」
 髪に、ほんの僅かに彼女の匂いが移っていた。

 俺はようやくギアを戻し、タイヤを細く泣かせながら、もと来た道へと向けてアクセルを踏み込んだ。
 雨足は変わらず、窓を叩く雫が視界をくもらせるのを払い除け、さっき出てきたばかりのコインパーキングに車を停める。

 見上げた先には、じわり、と、白く滲む朝が見えていた。


 -fin-




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