order book 006 1/1
『ダチュラ』
その部屋の窓の下で、俺は、携帯の履歴からひとつの番号をディスプレイに呼び出した。
それは電話帳には登録していないのに、多分ソラで言えてしまえる11桁。
2時間前の着信を最後に途切れた、履歴クリアが必須条件だった、俺と君との『関係性』。
――何もなかったことにして。
秋の風のようにカラリと乾いた声で、一方的に告げられた終わり。
始まりがどうだったかなんてもはや思い出しようもないのに、目に見える終わりがあるだなんていうのは不思議な話だ。
なんにせよ、その一言で清算できるとでも思っていたのなら、君は、俺を軽く見すぎた自分の浅はかさを思い知るべきだろう。そう結論を出した俺は――最後の最後で消去ボタンのひとつさえ押せないほど、その関係に依存していたことも自覚した。
今夜の空は雲が低く覆いつくして、街の灯りをぼんやりと映している。窓の下、僅かに漏れる灯りを、庭に植えられた大きな葉と花が遮る。その闇に溶け込むようにして置かれたとても見慣れた車に、俺はゆっくりと背中を寄りかからせた。
ひやりと背筋を這い上がるのは、冷え込む夜の空気ではなく――あいつに微笑みかける貞淑な君の顔。
…いまさら嫉妬だなんて、俺もずいぶん馬鹿げている。
全て納得した上のいくつかの夜、いくつかの朝、いくつかの君の顔。
いくつかの嘘といくつかの笑み。
いくらかの、愛情。
服を変えるように、化粧を変えるように変化する君の姿は、一時の熱情とそれに伴うスリルを呼んだ。
夜に咲く花の甘く痺れる香りに俺は囚われて、欲しい時に欲しい役を演じてみせるゲームに、自ら興じた。
そう、この『関係性』はゲームでしかない。罪悪感なんて、多分なかった。
…お互いに。
けれど君は、何も知らずに愛を囁く男の元に帰ると言う。その腕の中の安寧に飼われるのだと言う。
――明らかに俺に傾きつつある、その心に蓋をして。
あの夜、いっそ潔く、キツク噛み痕を残してしまえばよかった。
見放されたのか捨てられたのか。傍目にはそう見えるのかもしれないが、俺はそんなことは認めちゃいない。
ゲームはまだ続いている。少しばかり真剣勝負になっただけだ。
俺は負けるつもりなんてないし、獲物だってまだこっちを見てるじゃないか。
…あまり男を甘く見るなよ。
非通知で鳴らし続けたコールが、温度差を越えて繋がった。
『…もしもし?』
沈黙でさえ愛しいと感じるのは、君に由来するものだからだろう。
「……」
呼びかけの言葉を選ぶ唇が、薄い笑みに歪むのがわかった。
動き出した歯車はもう止められない。猶予なんて与えるつもりもない。
早く早く、巻き込まれてしまえばいい。飲み込まれてしまえばいい。
名を呼ぶために息を吸おうとしたその時に、電話のむこうで、微かにあいつの声がした。
秋の夜風は、喉に――胸に、ひやりと冷たい。
――あいつも早く、この視線の意味に気づいてしまえばいい。
低く念じた先で、見上げる窓がカラリと開いた。
影を落とし見下ろすダチュラは甘く膿んだような香りで、ベランダのあいつと俺の間でゆらゆらと夜風に揺れた。
-fin-
reproduced 【CENTURY】
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