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『ダチュラ』


 その部屋の窓の下で、俺は、携帯の履歴からひとつの番号をディスプレイに呼び出した。
 それは電話帳には登録していないのに、多分ソラで言えてしまえる11桁。
 2時間前の着信を最後に途切れた、履歴クリアが必須条件だった、俺と君との『関係性』。

 ――何もなかったことにして。

 秋の風のようにカラリと乾いた声で、一方的に告げられた終わり。
 始まりがどうだったかなんてもはや思い出しようもないのに、目に見える終わりがあるだなんていうのは不思議な話だ。
 なんにせよ、その一言で清算できるとでも思っていたのなら、君は、俺を軽く見すぎた自分の浅はかさを思い知るべきだろう。そう結論を出した俺は――最後の最後で消去ボタンのひとつさえ押せないほど、その関係に依存していたことも自覚した。
 今夜の空は雲が低く覆いつくして、街の灯りをぼんやりと映している。窓の下、僅かに漏れる灯りを、庭に植えられた大きな葉と花が遮る。その闇に溶け込むようにして置かれたとても見慣れた車に、俺はゆっくりと背中を寄りかからせた。
 ひやりと背筋を這い上がるのは、冷え込む夜の空気ではなく――あいつに微笑みかける貞淑な君の顔。
 …いまさら嫉妬だなんて、俺もずいぶん馬鹿げている。


 全て納得した上のいくつかの夜、いくつかの朝、いくつかの君の顔。
 いくつかの嘘といくつかの笑み。
 いくらかの、愛情。

 服を変えるように、化粧を変えるように変化する君の姿は、一時の熱情とそれに伴うスリルを呼んだ。
 夜に咲く花の甘く痺れる香りに俺は囚われて、欲しい時に欲しい役を演じてみせるゲームに、自ら興じた。
 そう、この『関係性』はゲームでしかない。罪悪感なんて、多分なかった。
 …お互いに。
 けれど君は、何も知らずに愛を囁く男の元に帰ると言う。その腕の中の安寧に飼われるのだと言う。
 ――明らかに俺に傾きつつある、その心に蓋をして。

 あの夜、いっそ潔く、キツク噛み痕を残してしまえばよかった。

 見放されたのか捨てられたのか。傍目にはそう見えるのかもしれないが、俺はそんなことは認めちゃいない。
 ゲームはまだ続いている。少しばかり真剣勝負になっただけだ。
 俺は負けるつもりなんてないし、獲物だってまだこっちを見てるじゃないか。
 …あまり男を甘く見るなよ。


 非通知で鳴らし続けたコールが、温度差を越えて繋がった。
『…もしもし?』
 沈黙でさえ愛しいと感じるのは、君に由来するものだからだろう。

「……」

 呼びかけの言葉を選ぶ唇が、薄い笑みに歪むのがわかった。
 動き出した歯車はもう止められない。猶予なんて与えるつもりもない。
 早く早く、巻き込まれてしまえばいい。飲み込まれてしまえばいい。
 名を呼ぶために息を吸おうとしたその時に、電話のむこうで、微かにあいつの声がした。
 秋の夜風は、喉に――胸に、ひやりと冷たい。

 ――あいつも早く、この視線の意味に気づいてしまえばいい。

 低く念じた先で、見上げる窓がカラリと開いた。
 影を落とし見下ろすダチュラは甘く膿んだような香りで、ベランダのあいつと俺の間でゆらゆらと夜風に揺れた。


 -fin-


reproduced 【CENTURY】




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