order book 008 1/1




『ポーカーフェイス』


 ふわりと、鼻をかすめる匂い。
 それはいつも彼女から香ってきて、
 俺の心をゆらゆらと揺らす。

『また一緒にゴハン食べに行こうね。絶対ね』
 真知からのメールに、返事は送らず携帯を閉じる。

 彼女に次の誘いをさせたことで、今日も俺の勝ち。

 俺のことを憎からず―むしろ好意的に―想ってくれている
 真知のアプローチは、とてもストレートで分かりやすい。
 そして、そんな真知の存在は、とても心地良い。

 デートらしいことはみんなした。
 とても遠回しな告白もされた。

 けれど俺は、彼女に何も言わない。
 ただ「想われること」を楽しむだけ。


 自分の本当の心には蓋をして。
 自分の本当の声には耳を塞いで。


 気紛れに送るメールも、
 彼女からついでを装って来る電話も、
 ちょっと酔ったフリをして繋ぐ手も、
 全てはゲームなのだと、そう自分に言い聞かせて。


 それでも、彼女から香るその甘い匂いは
 心の枷を外そうとする。
 まるで罠のように。
 まるでゲームのように。


 今日もまた、誘われるままゲームの会場へ向かう。
 煙草の煙に顔をしかめる真知のために、
 口寂しさを紛らわすものは酒。
 酔って何かが壊れてしまわないように、
 少し口をつけてはグラスをそっと置く。


 会うと専ら仕事の話で、
 そこにはあまり色気は無い。
 適度に語ったり、相槌を打ったり、
 たまには言い争いになったりもする。
 けれど最後にはどちらからともなく歩み寄って
 また、グラスを傾ける。

 今日もまた、そんないつもと変わらないやりとり。


 店を出ると、身震いするほどの寒さが襲ってきて
 思わず首をすくめた。
「さてと、真知は明日、仕事だっけか?」
 俺は休みだからもう1軒行ってもいいんだが、と
 後ろを振り返ると、
 仁王立ちした真知と目が合った。
「…何してんの」
「…ヒール、はまった…」
 視線を落とすと左のヒールが綺麗に
 側溝にはまっていた。

 …なんとまあ。
「とりあえず掴まっとけ、取ってやるから」
 と、彼女に肩を貸す。
 真知が首に腕を回した、その時。


 …甘い匂い…


「真知」
「ん?」
「ホラ、取れたぞ」
「…ありがとございマス…」
「…真知」
「ん?」


 その先は。
 言葉にならなくて、彼女を抱き寄せた。


「…ええと、その」
「私は好きだよ、雄二のこと」
 俺の肩の辺りでもごもごと、
 でもはっきりと聞き取れた彼女の声。
「…ええと、その、俺も…」
「ずっと前から、だよね」
「はぁ!?」
「やっと言ってくれた」
 彼女はそう言って、首に回した腕に少し力を込めた。
「良かった」

 そして鼻を擽る、あの甘い匂い。

「真知、何の香水使ってる?」
「香水?使ってないよ」


 とするとこれは、彼女自身が放つ香り。


 どうやら俺は、ずっと彼女を翻弄しているつもりで
 ずっと彼女に翻弄されていたらしい。

「引き分け…いや、俺の負けか」
「何が?」
 俺は真知の質問には答えずに、彼女の唇を塞いだ。


 -fin-


【五鍵】 5000 hits memorial story
special thanks for ヒロコ@【五鍵】
copyright(c)2006 ヒロコ all rights reserved.




  order book
  menu
  home