order book 023 1/1




『蜜柑と猫』


「あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます」
「今年もよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」

 新年。
 チャイムに反応して出た玄関先で、私と彼はいつもと違う遣り取りをした。
 合鍵を使わない今年初めての顔合わせは、少しだけかしこまっている。
 ドアを開けたその一瞬に強い風の音がして、私は、外の寒さにほんのり染まったその頬に、とりあえず上がって、と声をかけた。
「コーヒー淹れるね」
「いやいいよ、蜜柑食べるから」
 お土産のビニール袋からは、ぽこぽこと丸い黄色が透けて見えていた。
 …蜜柑を食べた後のコーヒーは、どうしてだろうか、びっくりするくらい美味しくない。

 彼はいつものソファーには座らず、クッションを座布団代わりにして床に座ると、テレビのお正月特番を観ながら黙々と黄色い皮を剥き、黙々と蜜柑を食べる。
 私はもぐもぐとよく動くその口元を見つめながら、子どもの頃に言われたことを思い出していた。
「蜜柑ばっかり食べてると黄色くなるよって言われなかった?」
「ああ、言われたかも」
 ちょっと前まで蜜柑だったもの、は、見る間に片手の指の数を越えようとしている。
「昨日、ご飯食べながら下唇の裏側を噛んじゃってさ」
「口内炎?」
「そ。酷くなる前にビタミン補給」
 彼はそう言って私のカップを覗きこんでしょうが湯の香りに目を細め、今度は剥いたばかりの蜜柑を私のてのひらに乗せた。
「風邪予防にもなるから、あなたも食べなさい」
 私は「はぁい」と答えて、張りのある房を口に入れた。
 瑞々しい甘さとほのかな酸味が美味しい冬の風物詩は、あたたかな団欒の象徴でもあるから、なんだか嬉しくなる。
 テーブルじゃなくてこたつだともっと良かったかも、なんて思いながら露の飛んだ指を舐めて顔を上げると、彼と目が合った。
「なに?」
「…なぁんでもー」
 悪戯に緩んだ目元で「今日もちゃんと爪切ってきたし」と呟くのを、私は聞こえないふり。
 そんな私を横目で見て、年賀状用でテーブルに出しっぱなしだったマジックで落書きした蜜柑に向かって、彼が一言。

「口内炎も風邪も予防しとかないと、後でいやらしいチューできないしねー」

「……もうバカ!!」
「新年早々バカとは何だ!?」
「そーゆーの、除夜の鐘で祓っちゃえばよかったのに!」
「あー、間違えるな。煩悩じゃなくて愛だからコレは」
「知らない!」
 もうバカ、バカ、バカ!!
 こたつよりしょうが湯よりずっと威力のある熱が、私の頬を染める。
 調子に乗って伸びてきた長い手をぴしゃりとはたいて、私は用意していた手編みのマフラーをぐるぐるぐるりと彼の首に巻きつけて、なお反論しようとするその口を封じた。
「蜜柑を食べ終わったら初詣!」
 煩悩だろうと愛だろうと、ふたりで初詣に行くと約束していた、その予定は譲れない。

「ハイ。初詣に行きますごめんなさい」
「分かってくれるなら許します」
 口元を覆うブルーグレーを指で引き下げて、彼はきょとんと私を見た。
「このぬくぬくしたのは?」
「それは風邪と呪い避けのアイテムです。ありがたく受け取ってください」
「…呪い?」
「そう。ノロウィルス」
「あぁー、その呪いね」
 あれツライらしいからねーと彼はマフラーの感触を確かめて、「愛情をありがとうございます」と目を細めた。
 柔らかい毛糸で編んだマフラーは優しい肌触りで、その目から互いの愛を零さない。
 だからとても、あたたかい。
 観ていた番組がちょうど終わって、私たちは皮だけになった蜜柑と空になったカップを片付ける。

「お賽銭用の小銭持った?」
「持ってるよー」
「マフラー似合ってる?」
「うん」
「じゃあ、俺からはコレを」
「…?」
「七難避け。端的に言うと虫除け?」

 ブーツを履き終えて顔を上げると、先に玄関を出た彼が振り向いて待っている。
 差し出されたその手を握ると、彼は「今年もよろしくお構いください」と言って晴れやかに笑った。


 -fin-


special thanks for 蓮花@【natural】
illustration : copyright(c)2007 蓮花 all rights reserved.




  order book
  menu
  home