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「…今日は、泣かないの?」
彼が言った。
「もう、泣かないよ」
私の気持ちは、もう、あの日へ還ることはない。だから、浮かべた涙のせいで、あなたの肩が揺れて見えてしまうこともない。
甘えるというわけではなく、弱い姿を見せるというのが大事なことなんだって、最近ようやくわかってきた。
あの日あなたに見せた涙は彼との終わりを悼む涙であり、あなたとのはじまりを思わせる涙だった。
「今日は眼鏡じゃないんだ?」
「もう、あれはいらないの」
だから、潮風で曇ったレンズのせいで、あなたの顔がぼんやり見えてしまうこともない。
あなたを前にして、彼の影を思うこともない。
私の弱さを目にしたあなたと、あなたの揺れる目を見続けてきた私。ここにいるのは、ただ、そのふたりだけ。
「じゃあ、…もう、言ってもいいの」
私は電信柱の影を踏み越え、指先で、あなたのシャツの裾に触れた。
「…聞きたかったから、ここに来たの」
あなたが、私を思って黙ってくれていた――想いのたけを、全て。
「俺、……」
あなたの声が小さく揺れて、温かさが私を包んだ。
はじめてちゃんと抱きしめられて、耳元であなたの声を聞いて、あなたの背中に手を回して――しっとりとした艶のある溜め息に触れて、震える。
――それは、いずれ私が揺られる海の調べ。
あなたの作り出す雰囲気はいつでも優しく、いつでも切なく私を包んだ。
「…私も、だから」
「うん。知ってる」
これからは、海が月を映して揺れるように、全てを包みこまれてあなたに揺られる幸せを――
とても近くで見るあなたの目は吸い込まれそうに深く、私は誘われるままに目を閉じた。
また、夏が来ようとしている。
触れ合わせた唇までもが震えたことにあなたは微笑み、それから私の手を引いて歩き出した。
ゆっくりとしたリズムを刻む靴音に、私のヒールの音を重ねる。手をしっかりと握り返すと、振り向いてあなたが笑う。
ただ、喜びだけがここにある。
ふたりが溜め息で歌った歌は、潮風に乗った雨雲が、遠くの方へ流していった。
私はあなたの肩越しに、いつかふたりが見つける光の軌跡の夢を見る。
-fin-
special thanks for 蓮花@【natural】
illustration
: copyright(c)2008 蓮花 all rights reserved.
[theme : その術(すべ)を私は知らない]
10sites joint project 『君を恋ひぬ日ぞなき』vol.2
deviser ヒロコ@【五鍵】
related 『嵐に星の影』@【五鍵】
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