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『ありふれた生活』





 うとうと うとうと
 いつの間にか 眠っていた
 聞き慣れた 電子音が
 私の頭の片隅に 響く
 ぼんやりとした 視界
 重たい瞼を 持ち上げる
 気力も なくて…





「…………」
『……何…お前…』
「…………」
『濡れてるじゃねえか』
「てっちゃん…」
『とりあえず、上がれ…』
「てっちゃん…」
『…何だよ…どうした?』





 てっちゃんの 髪に 身体に
 私の濡れた 質感を
 全部 移すように
 抱き着いて
 戸惑うような 両手が
 私の背中に 回されたら
 段々その手に 力がこもって
 私の身体が 軽くなる
 もらわれた分だけ 軽くなる
 びしょ濡れの カバンは
 玄関に そのまま
 私の 残り香と一緒に
 置いてきた





 今夜の事を 思い出す
 思い出したら また泣ける
 せっかく泣き止んだのに
 たったこれだけ 眠った
 くらいじゃ
 涙なんて 枯れなくて
 私の切ない この気持ち
 てっちゃんには 聞いて
 欲しかった…





「………」
『なに?、まだ泣き足りねぇの?』
「…うん。足りない」
『もうさ、泣くな。泣くなって』
「だって…」
『買ってやるって。新しいやつ』
「…だってね、もう売ってないんだもん。同じの」
『なんでもいいだろ?』
「だめだもん」
『なんで?』
「あんなに、あんなに軽かったんだよ」
『…………』
「骨組みの材質が、ちょっと違ってて…」
『……うん。それで?』
「てっちゃん、染み抜きちゃんとした?」
『うるせえな。今はそんなんどうだっていいんだよ』
「…高かったのにぃ…」
『結局そこかよ』
「軽くて、可愛くて、高かったのにぃ…っ…」
『重症だな』





 てっちゃんの 胸に
 しがみつく
 まだ乾ききらない髪を
 押し当てて
 生まれたての 洗濯物の
 香りを ふわりと
 感じながら
『上がったな。雨』
「知らない…」
『同じ傘は、売ってねえかもしれねえけどさ』
「うん…」
『今度の休み、買いに行こうな』
「……うん」
『しかし…なあ…お前』
「何よ」
『案外、可愛いとこあるんだな』
「……………」
『ちょっとさ、色っぽかったから…』
「…バカ」
『照れんじゃねえよ、バカ』
「ねえ、てっちゃん」
『なに?』
「ありがと。泣かせてくれて」
『……ああ』





 雨が上がった 深夜の空に
 私のなくした傘を思う
 雨が上がった 澄んだ空気に
 泣ける場所を 見つけた事の
 嬉しさを 思う
 ベランダに 裸足で佇む
 私達
 てっちゃんの 体温を
 シャツ越しに 感じて





『おい、見てみろよ』
「ん?」
『星、出てるぞ』
「ホントだ」
『晴れるんだろうな、明日』
「……靴…」
『は?』
「靴、びしょ濡れ…」
『…ったく…』





 替えの靴くらい
 置いとけよ バカって
 言いながら
 先週の 新聞を
 丸める てっちゃんに
 また 恋を する





 ほら
 私達は これでいい
 これで…いい…
 泣けてくるよな 普通の幸福
 風にそよぐ ふたりのシャツ
 雨は 止んで ベランダに
 普通の幸福 添い星 ふたつ





 -fin-


special thanks for 梛葉@【OPEN THE DOOR】

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