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「遅いっ!」
「…オマエなあ…」
 新宿のど真ん中で夜、車で人ひとり拾うのがどんだけ大変だと思ってんだ、という異議申し立ての殆どを飲み込んで、俺は「よっこいしょ」などと言って悠長に助手席に乗り込む女を見た。
 あと何秒で後ろからクラクションを鳴らされるだろう、そう思った矢先の盛大なクラクションに、彼女が首をすくめる。
 助手席のドアが閉まったことを確認してとりあえず車を出す。運転席の窓を開け、後ろの車に手を挙げて、挨拶。
 ハザードを点滅させながら、なかなか落ち着かない彼女を視界の端にとらえる。
「オマエ早くシートベルト締め」
「待って待って、スカート挟んでる!」
 横目で確認すると、やけに明るい街灯に照らされて細い眉尻が下がっていた。俺は「次の信号で停まるまで待て」と言い置いて、テールランプの流れに乗る。
「…ちゃんと後ろ確認してからドア開けろよ」
「わかってるわよ」
 ドアが閉まる軽い衝撃の後、膝の上を軽くはたいて居住まいを正すのを見るのは、これで何度目だろうか。
 シートベルトに押されて乱れたブラウスの襟を、引っ張って直してやる。
 そして俺が何気なくハンドルに戻した指を、物言いたげな彼女の視線が追うのも、これで何度目だろうか。
 前の車が急にウインカーを点滅させたのに合わせて、減速する。車線変更のチャンスなんてそう簡単にあるわけがない。そして渋滞のきっかけというのは、えてしてこんな小さな出来事だ。
 立ちっぱなしで待っていたのだろう。エンジンの震えが適度に伝わるシートは居心地がいいらしく、彼女の雰囲気がふっと緩む。
 車内に微かに漂う甘さは、彼女のお気に入りのパフューム。
 ――渋滞を抜け出すまでの間、ギアに乗せた俺の手指の節を、マニキュアの指先が撫でた。
 いつもと同じルートを辿り、夜は、約束された展開へとアクセルを踏み込む。

 知りたい、と思ったから抱いた。
 遊び慣れていそうに見えるのは、そう演じているだけなんだと、グラスを持つ指先を見て気がついた。
 彼女の友達という連中は、甘ったるい色のグラスに透けて見えるほどにあからさまで品のない誘い方をする。彼女はその群れに巧く紛れているようで、その実巧くいかない擬態をアルコールの力で誤魔化していた。
 毛色が違えば、興味がわく。言い方は悪いが、それが始まり。
 動きにあわせて身体は波打つくせに、肝心なところで目を合わせない。だから焦れる。だから焦る。
 俺に「慰めるだけの夜ならもういらない」と言わせた女は、後にも先にも、きっとコイツだけだ。

 押し戻される指で抉じ開けたのは、身体か、それとも心か。
 躊躇う手で抉じ開けたいのは、心か、それとも身体か。

 時々、オマエはびっくりするほど柔らかな表情を見せるから。抱き寄せた腕の中で、らしくなく小さく震えるから。
 興味はいつしか愛しさに変わり、その先にあるものが欲しくなる。
 脱がせるブラウスはわざと皺だらけにして、夜のうちに帰ってしまわないようにして、そして俺はまどろみの中に夢を見る。
 次の朝もその次の朝もずっと――眠るうなじにそっと口付ける、そんな夢を。

 …これ、やる。
 なに。
 なにじゃねえだろ、見てわかれ。
 鍵?
 …だから、見てわかれ。
 …キーホルダーはないの?
 そんなん自分で買えよ。
 …指輪は?
 そんなん自分で買…あ、いや……うん、そのうちな、そのうち。




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