order book 036 3/5
抱きしめると、ちょうど俺の肩に頭が乗った。
コートの襟が硬くて嫌だと文句を言うわりに、俺にはコートが似合うからと着せたがった。でもやっぱり寒いのは好きじゃないからと、外を歩くのを嫌がった。
じゃあ、春が来たら。
今より少し暖かくなったら、オマエの休みに合わせて。
オマエの好きなところに、オマエのいいようにプランを組んで、俺が連れて行ってやるよ。
そう言った俺にびっくりしたのか、ただ呆けた顔を見せるオマエが愛しくて、俺は笑った。何も言わずただ目を伏せたままの頭を抱き寄せて、肩にその温かさを感じて、その頃には全部手に入れてみせてやると、俺はひとり誓った。
少し腕に力を込めると、すぐにオマエは痛いと言う。
…なら、俺は。抉じ開ける指を緩く締め続けられたまま、そこから奥を臨めずにいる俺は。
期待する心を、物言わぬ仕草だけで封じられている俺は。
どれだけ優しく囁いても、熱く見つめてみても、オマエは目を逸らしたまま。俺の肩に頭を乗せて、そうやって――どこを見て、何を、想う。
久しぶりにふたりで訪れた出会いの店で、彼女は俺が隣にいるのを嫌がるような仕草を見せた。
斜めに見上げてくる視線が痛くて、仕方なしに席を立つ。移動する間にグラスの汗がフロアに落ち、やけに煌めく光の一部になる。
少し離れた席で隣を気にすることなく煙草の煙を吐き出すと、フロアの向こう側で彼女は友人の群れに溶け込み、俺がいる時とは違う笑顔を見せていた。
…どうせまた、いつもの私物自慢でもしているのだろう。
誰が誰から何を貰った、ブランドはどこの、新作はいくらぐらいするのよ、へえ。俺にしてみたらくだらないとしか言いようのない会話に、女たちは今日も花を咲かせる。
少し前に彼女に買った財布も、そうやって一時の話題にされ、そしてすぐに次の実のない話題に淘汰されていった。
女たちの興味は一瞬で冷め、一瞬で変わる。
高い金を払って整えた爪も流行が変われば見向きもされなくなり、すぐにまた新しい煌めきを盛られて、ひとときだけの話題を攫う。
酒が進んでいるのだろう、憚ることのない大きな声で、品のない会話は続いている。少し擦れた甲高い笑い声がフロアに流れる音楽に刺さり、耳障りな音を立てた。
見せかけの煌めきと、甘い香りのライトトラップ。フロア中の低俗な虫が引き寄せられては、容赦のない囀りに啄ばまれてゆくさまを横目に、グラスを呷る。
――今夜の酒はたいして美味くもない。
俺はどこか焦れながらグラスを呷り、そしてまた、配慮するあてのない煙をフロアへと吐き出した。
彼女がはじめに見せたどこか媚びるような目も、少し過ぎたアルコールの気配も、もうそこにはないしその必要もないはずなのに、――僅かに肌に感じる違和感は、なんだ。
話の中心であり続けることに、どれだけの意義があるか。群れの中に居続けることに、どんな意味があるのか。
いつだったかそんな話をしたとき、彼女は一瞬嫌そうな顔をし、そして結局何も答えなかった。
彼女は今日もその群れに紛れて笑う。甘ったるい色のグラスを手に、爪を煌かせ、唇を艶めかせて。俺はまたもやもやと胸のうちに広がる思いを、短くなった煙草と一緒に揉み消そうと試みる。
…くすぶる煙は、天井に届く前に、その随分手前で消えた。他のヤツラが吐き出した煙に混じることなく、フロアに留まることもなく、ただ、小さく。
わかりきった正しさを押し付ける気はないが、気づいて欲しいという気はいつでも胸に持っている。
大切なのは何か、脱却すべきはどこからか。オマエがそれに気づいてさえくれたなら。
なのにオマエは振り向かず、抱かれながらも目を合わせることなく、そして軽薄な輪の中でひとときの花になる。
――いつからか、そうやって緩く確実に、何かが蝕まれてゆく。
脇をすり抜けならが冷やかしを投げるヒールに、何も応えない俺の代わりにグラスの氷がカランと音を立てた。
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