order book 037 2/3




「梅雨なんだから傘持ってなきゃダメだよ。風邪ひくんだからね」
 お前はどうなんだよ――
 雨音は止む気配を見せず、風に舞う滴が俺の足元から体温を奪ってゆく。
 傘を受け取る一瞬に触れた手がとても冷たくて、その手が何故だか儚げに感じて、気がつけば俺は彼女を抱きしめていた。
「紗知恵の方が風邪をひく」
「……」
 少しだけそうやって、身体を離す。腕の中は、なぜだか切ない、雨の香りがした。

 ふたりで小さな傘をさして歩く。雨足は少し弱くなってきたものの足元では水溜りの水が跳ね上がり、ズボンの裾を濡らした。
「何で自分用の傘はないわけ?」
「途中で突風吹いて壊れちゃったから」
「なら、これ使って帰ればよかっただろう」
「それはダメなんだって……あっ」
 5分程歩いた頃、紗知恵は足を止めた。その視線の先には雑貨屋があり、その上には緑が水を受けて気持ちよさそうにしているカフェがあった。
「ちょっと、少しだけここで待ってて」
 そう言うと紗知恵はカフェへと向かって階段を駆け上がって行った。
 言われた通りに少し待つと、カフェの前で軽く頭を下げる紗知恵と、ほっそりとした身体に眼鏡をかけた女性が見えた。――店員だろうか? そんなことを思いながら階段を下りてくる彼女を目で追いかける。
「待たせて、ごめんなさい」少し息の上がった彼女の手には、小さなケーキの箱が握られていた。

「早く入んな、タオル持ってくるから」
 俺は自分の家が近かったこともあり、彼女を家に上げることにした。それは何の感情もなく、ただ風邪をひくと厄介だから…という理由で。
「あっ…」
 先に上がろうとする俺のジャケットを、彼女が掴んだ。
「――…あの、……コレ」
 振り向いた俺に、彼女は手にしていたケーキの箱を差し出す。
「ん。…何?」
「和哉、今日が誕生日でしょ?」
 だから。
 お誕生日、おめでとう。
「えっ…――あっ」
 そうだ、今日は自分の誕生日だった。
 そんなことをすっかり忘れていた俺は苦笑いを零す。彼女はそんな俺を見つめ、ふわりと優しく笑った。
 身体も髪も濡れ、冷たくなっているのに――
 俺は急に彼女が愛しくなった。こんな気持ちになったのは何年ぶりだろうか。
 彼女の顔を見つめ、頬をそっと撫でた。「ありがとう」冷たくなった頬から唇に指を滑らせ、追いかけるように自分の唇を落とした。――何度も、何度も……。
 自分のことをこうして祝ってくれる人がいることがすごく嬉しかった。前に付き合っていた彼女も祝ってはくれたが、それとは比べ物にならない程に嬉しく感じるのはどうしてだろう。
 ケーキは冷蔵庫に入れた。ろうそくの炎を見つめるのは後でいい。どちらからともなく自然に繋いだ指が甘く痺れ、引き寄せられるようにまた唇を合わせた。
 冷たくなった身体をシャワーで温め、そして互いの身体で温めあう。
 時々、恥ずかしそうな顔をする彼女が、本当に愛しかった。




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